harutamaの日記

失業中の理系研究者のブログ

Siriに関するSilly発言に思う「ゆとり」のしっぱい

昨今話題となっているSiriに関するSilly発言

「Siriに聞けばいいから勉強しなくて良い

これからSiriよりもっと良い物がどんどんでてくるから、

勉強なんて必要ない」

宿題をやりたくない子どもの無邪気な発言と取るなら笑って済ませるところだけれど

大人達がこんな発言に振り回されているようなので、

ふと考える。

 

そういえば、

「ゆとりってどうして失敗したんだっけか」

 

読み書きそろばんの時間は短くして、

ゆとりを持つ事によって子ども達が自分で自由に考えて育つようにと

それがゆとり教育じゃなかったっけ

 

それで上手くいくのが理想なんだが、

国際的に判断される学力が落ちて

大騒ぎになった

 

そして、ゆとり教育で育った子ども達は今大人になって

社会に出て、ゆとり世代と呼ばれて問題視され

挙げ句に、ゆとりと呼ぶことはハラスメントだから止めるようにという

命令がされるしまつ、、

つまり、そこまで問題だと言う事だ

 

ゆとりが目指した物は、言ってみれば、アメリカでやっているような教育なんだろう

つめこみではなく、もっと考えるようにと。

ここで、アメリカ的な教育って何と考えると

・考える事

・議論すること

・世代を超えてコミュニケーションする事

 

ゆとりの失敗理由は、

日本人と社会の複雑な構造にあるのではないか。

それは、

・文脈の文化:物事をはっきり言わない

・本音と建て前:未熟で幼稚な部分にふたをして建前で語る習慣

 

子どもの前では大人達は聖人君主であるかのようにえらそうに善悪で能書きをたれるが

その実自分たちはそんな立派な物じゃない

そういうギャップを最大に抱えているのが

教師だ。

 

そんなもの相手に、世代間のコミュニケーション方法を学ぶのは複雑怪奇すぎる。

 

Good enough teacherが、自覚を持って子ども達に対応できるようになるには

まだまだ成熟が必要だ